「えるじろう」店主です。
20代息子2人を育てた50overの母です。
函館生まれ、函館育ち。結婚して京都へ。
24年間、関西オンリーで過ごす。
職歴
某市場(一般の方向けではない大きな市場)
大手菓子メーカー
大手精密機器メーカー
大手電機メーカー
鉄鋼材商社
教科書(出版)会社
公立小学校
公民館
職歴は今の仕事とは、まったく反対です。
でも、一つ一つの経験が、今のここに繋がっています。
お仕事一緒にしてきた方々に感謝。
2012年から函館市末広町で「えるじろう」を開業。
何とか今も続いています。皆様のおかげです。ありがとうございます。
いろいろな職種の会社にいってましたが、一つも無くなったところはありません。
みんな現存中。
菓子メーカーでは、今では少なくなった小売店と町のスーパー等を回って、営業のような仕事をしていました。
訪問して新製品の説明。
店主さんや担当者とコミュニケーションをとって自社商品を目のつきやすいところに置いていただいたり。
小さなスーパーでは、店頭の特設スペースでお買い得商品の販売ヘルプ。これは学生ののりで出来たので楽しかったです(笑)
誰にでも声を掛けて喋るという事に慣れた。というか慣らされた仕事でした。
家電メーカーでは当時はPC一人一台の時代ではなく、画面も今のように色鮮やかでもなく、
前世代的TV的な画面。それにひたすら入力!
海外の生産拠点へ製品の仕様変更を打ち込むという作業をしていました。
海外との通信の為に、他社と共同で専用の海底ケーブルを設置した(驚)と聞いて、さすが大企業!と思ったな~。
一番の思い出は、体育館のような社員食堂!!!!!これは辞めるまで慣れませんでしたけど。
教科書出版社は営業でした。
これも菓子メーカーと一緒で、ひたすら訪問!
高校を主に回ってたので、担当範囲がすごーーーく広し。
もうすぐで福井・岐阜・大阪ってなところまで高速道路駆使で回ってました。
先生に「どうっでっか~(と実際には言わないが)」と教科書や学参の内容の説明やら、要望やら質問を聞いたり。
4教科25種類くらいの教科書を主に、学校採用参考書も入れると、とんでもない数にーーー対応していました。
授業の間の1分2分、長くて5分の間に伝えたい事を伝える!!!でも、空気を読んで声かけられず空振り~という事の繰り返しでした。
専門用語駆使してのご指摘などは、もらさずメモッたり。自分自身が高校の時に選択していた教科だったのが救いだった(笑)。
違う学校では、1時間立ったまま熱い思いを聞いたり。
寒い中、職員室の廊下で待ったり。
また某高校では、ずーっとお会いできなかった先生に挨拶を!と思い毎回捜してたんだけど、ある日「それは僕です」も無く突然「大学に行った生徒が、この教科書で良かったって言ってたよ。」と・・・
いつも挨拶してたけど「その先生なら帰ったわ~」とか言ってたじゃないですかーーー。
アナタでしたかーーー。
もう退職するという前に一言いただいただけで。何だかお仕事した感が。それが一番の思い出です。
涙・笑い・一人で回る孤独(だれも助けてくれない)な仕事でした。
小学校は補助の仕事だったので、毎時間違うクラスへ。
一日100人以上の子どもの中は、渦の中に入る感じでした。
友達が「自分の子どもが一番楽やろ(一番楽でしょ?)」と。
本当に個性がいっぱいで、頭に血がのぼってたら出来ない仕事でした。
おばちゃんを走らすなよ~と思いながら脱走した子を追いかけたり。
先生ほら!と見せてくる虫にビビったりせずに笑顔で話をしたり。
突然飛んでくるパンチをかわしたり。
授業中遊んでる子に「やらなアカンで~」と声かけてて、ある日「ちゃんとやったら点取れるし!」という顔してテストの点を見せに来たり。
どうでもいいが「先生、元ヤンやろ?」って言われてた。違うけどな。
という、毎日いろいろ有りすぎる日々でした。
他の仕事も、いろいろありましたが、言える事は、楽な仕事はございません。
そして、この話には一言も出てきてませんが、電話に出る事も仕事の一つです!
学生の皆さまも苦手と言わずに、電話に出られるようにしておきましょう~。
そんな店主・・・時々電話に出られませんが、調理中やお客様対応中ですので、ごめんなさい。
と、とりあえず突っ込まれないように書いとこ!